2013年9月10日火曜日




夏目漱石

1910

三四郎、それから、そして門。


漱石前期3部作の最後の作品。

それからのそれから、の作品。

親友の妻を奪った数年後の夫婦の話。
宗助と御米。

沈んだ描写の中で
夫婦が仲睦まじく、時にズレを感じながら
暮らす二人の様子がとても繊細に描かれてます。
美しい作品だと思います。



語り口がゆるやかで
描写がとても絵画的。


ストーリーの静動が少ない分
淡い、丁寧な日常の描写が引き立つのかと思います。




”宗助が電車の終点まで来て、運転手に切符を渡した時には、
 もう空の色が光を失いかけて、湿った往来に、暗い影が
 差し募る頃であった。降りようとして、鉄の柱を握ったら
 急に寒い心持ちがした。”
(本文より)

それでいて軽い神経衰弱の感がある
宗助の心理描写がこういった描写と相まって
グレートーンといいますか。淡色といいますか。

この作品の美しいトーンを形成している感じがします。



またシナリオとしては
すごくいい事も起こらない。
すごく悪い事も起こらない。

物語の舞台は基本的に宗助の家近辺に留まります。
淡々としています。



”互いを焚き焦がした焰は、自然と変色して黒くなっていった。
 二人の生活は斯様にして黒い中に沈んでいた。”


宗助と御米の二人しか分かち合えない淋しさと
仲睦まじさが丁寧に描かれています。

当時100年前において友人の妻を娶る事は
双方合意であっても大きな咎であったらしいです。
親からも勘当され、世間からは冷評が耐えなかったとか。


お互いに頼れるのは二人だけ。社会からは隔絶された感じがする。
こうした淋しさがひしひしと感じられます。

ただ物語後半では
宗助は御米にも打ち明け得ぬ悩みを抱え、七転八倒します。
そこで救いを求めるために宗教の門をくぐろうとします。



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三四郎では授業にも、娯楽にも
心のよりどころを見いだせず
右往左往する上京したての大学生。
ピュアな語り口の三四郎。


それからは自己偏重気味の
屈折した語り口の代助。

そして自分が悪いのだと自身の咎をひきずらせ、
世の中に自分を働きかける事を
諦めてる語り口の宗助。


いずれもこころの内側を丹念に
描ききったる作品だと見受けます。

何回読んでも面白い。

そしてこの三部作を経て、
”こころ”へと向かうのです。