それから
夏目漱石
1909
センスの良い若者が描く奔放な理想の自分像。将来。
衣服、聴く音楽、付ける香水、就く仕事、付き合う友人、
恋愛の相手、将来の邸宅。
それらへの強いコダワリ、空想が
不義の愛と現実の必要によって、地へと引きずりおとされる話です。
相手との繋がりを求める事で、
主人公が築き上げた論理の要塞や空想がみるみる崩落していきます。
不義の愛だと分かっていても相手との繋がりを求めてしまう代助。
理屈を離れ、本能的に動いてます。
あと現実の必要とはココではお金、の一言に尽きると思います。
高等遊民=ニートで親にパラサイト、
つまるところ寄生してる代助にはお金はありません。
頭で描く素晴らしい空想に耽っていても
自分と貰う相手を養うだけの収入が必要です。
額に汗して働かざるをえません。
また主人公、代助が破滅へと向かって行く描写が凄まじい。
代助が電車の車窓を見ながらのラストシーン。
”代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。
代助は自分の頭が焼き尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。”
今まで使わなかった脳が猛烈に回転を始めたかの様な。。。
経済活動に乗っからざるを得ない。でなければ生きていけない。
そんな焦燥感がある描写でした。
漱石自身もコダワリが強かった人間だと思うのです。
そして、生きていくためにこのコダワリを捨てる事もあったのだと。
代助に自身をトレースさせてる。。
漱石が自らの血で綴った様な物語だと思います。
漱石本人も執筆活動において神経衰弱を患い吐血も。
三四郎、それから、門の3編。
そしてこころ。
これらは漱石の精神がギュッと詰まってますね。
何回読んでも面白い。
直接カタルシスを得られるわけではありませんが、
きっと私(25歳)位の世代の方なら共感できる事も多い本だと思います。
自己愛もほどほどにねってね…苦笑