2013年9月29日日曜日

登山二発目!











 2013.9.28
高妻山登頂!

戸隠牧場から登山口に入りました。
日本海が臨めて素晴らしい景色と空気でした!
膝の捻挫がぶり返し、後半は死ぬかと思いましたがなんとか下山。

膝の故障を見かねて、見知らぬ方に湿布を頂いたり、
登山道から転落したトコロを助けて頂いたり…笑

山は侮るべからず。。。ですね…
万全を期して次回は登りますね。

膝が完治するまで、しばらく山はお休みです…。。
嗚呼淋しい。

登りいいシーズンなのに…
悔しいです。



追記:K合さん、写真拝借させて頂きました!
   膝、完治したらまた一緒に登りましょう!

2013年9月24日火曜日

ラジオに魔法を取り戻す



レコードにメガネ、山登り…
ここ長野に来てから色々と好きになりました。

最近はラジオにのめり込んでいますね。
特にInter FMのBarakan Morning。
写真下はバラカンさんが
”ラジオに魔法をかけた100枚”と紹介したウチの数枚のメモ。
走り殴り書き。
ただ、どれも最高だよ!!


もう朝7時〜10時が楽しみでしょうがない。
Barakanさんの選曲が素晴らしくてもう。。。
黒人音楽〜ロック〜民族音楽…

とにかく聴けるだけ聴いて勉強するしかない。
熱に浮かされてます。ワクワクします。



長野では電波が入らず。
スマホのアプリで毎日拝聴しております。



”ラジオに魔法をかけた100枚”


バラカンさんの本も今後は読もうと思います。

2013年9月15日日曜日

お財布


財布を買い換えました。
無印です!

左が新品。右が10年選手。
両方色は一緒でした。当時は笑


10年使うと左→右のごとくエイジングします。
10年の汗と油となんたら。。。

ほんとにありがとう。
また10年、お世話になります。



2013年9月10日火曜日




夏目漱石

1910

三四郎、それから、そして門。


漱石前期3部作の最後の作品。

それからのそれから、の作品。

親友の妻を奪った数年後の夫婦の話。
宗助と御米。

沈んだ描写の中で
夫婦が仲睦まじく、時にズレを感じながら
暮らす二人の様子がとても繊細に描かれてます。
美しい作品だと思います。



語り口がゆるやかで
描写がとても絵画的。


ストーリーの静動が少ない分
淡い、丁寧な日常の描写が引き立つのかと思います。




”宗助が電車の終点まで来て、運転手に切符を渡した時には、
 もう空の色が光を失いかけて、湿った往来に、暗い影が
 差し募る頃であった。降りようとして、鉄の柱を握ったら
 急に寒い心持ちがした。”
(本文より)

それでいて軽い神経衰弱の感がある
宗助の心理描写がこういった描写と相まって
グレートーンといいますか。淡色といいますか。

この作品の美しいトーンを形成している感じがします。



またシナリオとしては
すごくいい事も起こらない。
すごく悪い事も起こらない。

物語の舞台は基本的に宗助の家近辺に留まります。
淡々としています。



”互いを焚き焦がした焰は、自然と変色して黒くなっていった。
 二人の生活は斯様にして黒い中に沈んでいた。”


宗助と御米の二人しか分かち合えない淋しさと
仲睦まじさが丁寧に描かれています。

当時100年前において友人の妻を娶る事は
双方合意であっても大きな咎であったらしいです。
親からも勘当され、世間からは冷評が耐えなかったとか。


お互いに頼れるのは二人だけ。社会からは隔絶された感じがする。
こうした淋しさがひしひしと感じられます。

ただ物語後半では
宗助は御米にも打ち明け得ぬ悩みを抱え、七転八倒します。
そこで救いを求めるために宗教の門をくぐろうとします。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


三四郎では授業にも、娯楽にも
心のよりどころを見いだせず
右往左往する上京したての大学生。
ピュアな語り口の三四郎。


それからは自己偏重気味の
屈折した語り口の代助。

そして自分が悪いのだと自身の咎をひきずらせ、
世の中に自分を働きかける事を
諦めてる語り口の宗助。


いずれもこころの内側を丹念に
描ききったる作品だと見受けます。

何回読んでも面白い。

そしてこの三部作を経て、
”こころ”へと向かうのです。


2013年9月5日木曜日

風立ちぬ



風立ちぬ
2013

大人なラブストーリー、のジブリ。

『子供達が見てすぐ良さが分からなくてもいい。
大人になって観なおして、良さが分かるモノがあってもいい。』
とは鈴木敏夫さんの弁。
(どこかのテレビインタビューで)

私もまだまだ子供な気がしました。
まだまだこの映画をレビューできるほどの経験値は無いと。
こんな若造が、、と。
年を重ねてから観直すと、また感動できそうです。。
と子供の直感で思いました笑


結婚、仕事とかで責任、あるいは人を背負えば背負うほど
人間逞しくなる、大人に向かうものかと。

『仕事を一人前にこなすには嫁を貰わねばならん、これも矛盾だ。』
 主人公、堀越次郎の友人、本庄が一言。



飛行も上手くいかなかった
次郎も菜穂子と出会う事で仕事にうねりが生まれるといいますか。


ちょっとキザな台詞もあるけど
ピュアな次郎が言うとスゴく刺さるんですよ。
ラブストーリーとして最高です。


でまたラストの方も切ないんですねーーー。
菜穂子の決意たるや。。

この決意を味わうにはまだ私は若い気がするのです。
まだまだ年輪が無い。

真面目に自分の人生を生きて年輪を重ねなさいね、と。
そしたらもっかい観てみ?と笑

そういうメッセージを映画のラストシーンから
私は汲みました。

観客に賽を投げたかの様な素朴なラストシーン。
君たち次第だよ、と諭されたかの様な。

ファンタジーでは無く、素朴な作風がとてもイイ。

その素朴な作風を次郎の持ち前の真面目さで縁取ってるトコがニクい。
秀才といわれてる次郎でも失敗をしたり、恋をしたり。
ホントに普通の人間。でも飛行機に関してはひたすら真面目。
菜穂子に対しても大真面目。



そんな次郎の真面目な10年にフォーカスした
真面目なジブリのラブストーリーだと思いました。

あーあとタバコも吸いたくなりました。
その点でもアダルトな映画です。

まだまだ経験値足りないな私。
赤ちゃん人間だ!!

2013年9月1日日曜日

それから





それから
夏目漱石
1909


センスの良い若者が描く奔放な理想の自分像。将来。
衣服、聴く音楽、付ける香水、就く仕事、付き合う友人、
恋愛の相手、将来の邸宅。


それらへの強いコダワリ、空想が
不義の愛と現実の必要によって、地へと引きずりおとされる話です。

相手との繋がりを求める事で、
主人公が築き上げた論理の要塞や空想がみるみる崩落していきます。
不義の愛だと分かっていても相手との繋がりを求めてしまう代助。
理屈を離れ、本能的に動いてます。


あと現実の必要とはココではお金、の一言に尽きると思います。
高等遊民=ニートで親にパラサイト、
つまるところ寄生してる代助にはお金はありません。
頭で描く素晴らしい空想に耽っていても
自分と貰う相手を養うだけの収入が必要です。
額に汗して働かざるをえません。


また主人公、代助が破滅へと向かって行く描写が凄まじい。
代助が電車の車窓を見ながらのラストシーン。

”代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。
代助は自分の頭が焼き尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。”

今まで使わなかった脳が猛烈に回転を始めたかの様な。。。
経済活動に乗っからざるを得ない。でなければ生きていけない。
そんな焦燥感がある描写でした。


漱石自身もコダワリが強かった人間だと思うのです。
そして、生きていくためにこのコダワリを捨てる事もあったのだと。
代助に自身をトレースさせてる。。

漱石が自らの血で綴った様な物語だと思います。
漱石本人も執筆活動において神経衰弱を患い吐血も。

三四郎、それから、門の3編。
そしてこころ。


これらは漱石の精神がギュッと詰まってますね。
何回読んでも面白い。

直接カタルシスを得られるわけではありませんが、
きっと私(25歳)位の世代の方なら共感できる事も多い本だと思います。


自己愛もほどほどにねってね…苦笑